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WBC2017終わり感じたこと [■スポーツ観戦]

●HP・・・http://www.wbc2017.jp/

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WBC、ようやっと本国アメリカが勝ちましたね。
まあそれが本来の姿というか、当たり前というか、寧ろ今まで優勝しなかった(しようとしていなかった)のかが不思議なくらい。

日本では大谷離脱、プレミア12での小久保監督の采配への不信感などから、あまり盛り上がっていたようには感じませんでした。
ですが始まってみると、辛勝だけれども全試合勝ち続けるサムライJapanの熱闘を目にして、応援ムードも高まったように思います。
かくいう私も、沸き上がる気持ちを押さえきれず、ドームに観に行ったのが、たまたまあの大熱戦のオランダ戦。
人生のスポーツ観戦では記憶に残る一戦となりました。

あらためて感じたのは静寂が生む緊張感の良さ。


私は松井秀喜のファンで、彼がヤンキースに入った後メジャーリーグを見るようになり、試合を見るにつれ日本独自の「鳴り物」がないほうがいいと考えるようになった。

確かに応援歌は他人同士が片寄せあって同じ歌詞を歌い、一体感も出るし、一種の高揚感を味わえる。
しかし、それは野球を真剣に見ていると言えるのだろうか。
応援にかまけすぎて、応援が目的で球場に来てやしないだろうか。

つまらない試合は静かになってもいい。ブーイングしてもいい。途中でお喋りに興じてもいい。
だが面白い試合になったときは、自然発生的に歓声が沸きおこる。それでいいではないか。

日本で行われたWBCの試合では、相手の攻撃の時には鳴り物はやんだ。
それが効を奏して、日本にいながらにして、忘れられない瞬間を味わうことができた。
オランダ戦、則本が打たれて同点に追い付かれたときの切迫した叫び声、応援、それらが混然となって球場を揺らし、一体となった瞬間。そしてモーションに入ったときの、一瞬の静寂。四万人が息を殺して球の行方を見守る、はりつめた空気。

何にも変えがたいこの瞬間を手放してまで、ひっきりなしに音をだし続ける意味があるのだろうか。

そもそも外野にいくと必然的に立ち上がるという同調圧力もいただけない。
スポーツ観戦はもっと自由であるべきだと、あらためて感じた。

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↑外野で配られた応援歌詞カード


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