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太秦ライムライト [時代劇]

★満足度80点

太秦ライムライト [DVD]

太秦ライムライト [DVD]

  • 出版社/メーカー: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
  • メディア: DVD

福本清三さんが座り、佇み、殺陣をする。
楽屋で顔を造る、踏切が上がるのを待つ、盆栽の手入れをする。
もうそれだけでなんだか切ないのである。

殺陣役者というより、一人の武芸者の面立ち。
人を生かすも殺すも人次第。
「殺された」場合の人間のいかに惨めなこと。
人間、どうあっても後輩は先達に対してこういう処遇をしてはいけない、引き際をきちんと設けなければならない、としみじみ思った。
「人の顔を立てる」という日本語は正鵠的を得ている。
ひどい扱いを受けても、うつむき加減に黙々と与えられた仕事を全うする愚直さに、何度も目が潤んだ。

ドキュメンタリーにも胸を打たれました。
劇中も時代劇スターを演じる松方弘樹に対して、挑発するシーンで何度もつまづく福本さん。
劇中の香美山は、福本さんそのままだから、本当の大スター松方弘樹に対して、どうしても暴言が言えない。
そんな福本さんに松方さんが「おい、同級生。とってくいやしねえよ」と気遣うのも、ぐっときた。
福本さんは「主役なんて」と謙遜するけれど、立派に背中で泣かせる役者だと思う。

今までの邦画らしくない編集だなと思ったら、ハリウッドで映画を学んだ日本人と、撮影監督のコンビが撮りあげたものでした。
ただ、さつきが一躍脚光を浴びた後に着る派手なワンピースや、トップアイドルが月代を嫌がって歌舞伎に使う獅子のかつらを付けるシーンなど、ちょっとわざとらしいシーンに失笑も。

香美山がいったん田舎に引っ込んだ時の、田畑で棒きれを使った美しい殺陣シーンは、よくある演出だと思うけど、少し【ベストキッド】を思い出しました。こういったわかりやすさも、全米やカナダで受け入れられやすいと思う。

あらゆる角度から撮れるだけとって、編集で良いカットをつなぎ合わせるハリウッドの手法と、一発撮りを信条とした殺陣師の食い違いがあって、最初は監督さん辛そうでしたけど、出来上がってみたらキャストも納得だったのではないでしょうか。
監督が日本人だから、描写に変なところもないし。
きっと外国人からみたら名札で出番を割り振るシステムは「アナログ」に見えるだろうけどw

大一番の殺陣シーンはデジタルからフィルムのようにタッチが変わるのだが、その「劇中劇」があまりに格好よくって。
最後に香美山倒れ込むシーンが、「引退」の象徴以上に、一人の男の「役者生命」が終わる表現になって、まるで香美山がそのまま死んでしまうような切なさを感じた。

つくづく、アイドルばかりを主役に登用する「なんちゃって時代劇」ばかり横行するなか、本物の時代劇をみたい!と欲している自分に気がつきました。
一昔前の時代劇スターも若い人も多かったけど、「顔」の迫力やオーラが違う。
精神年齢がどんどん下がっているのかもしれない。

「どこかで誰かが見ていてくれる」という台詞とともに、後世に良い時代劇を残したい。
そのために何ができるだろう。


ウフィツィ美術館展 [■ART]

■ ウフィツィ美術館展

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最後にウフィツィ展。 
言わずもがなのボッティチェリの作品が目白押し。
「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」こそこないものの、必見の作品ばかり。
ちなみにダン・ブラウン【インフェルノ】では「ボッティチェルリ」とが入っている。

このルネサンス時代、聖書モチーフばかりですが、イコンだらけの絵画はそれだけわかりやすいともいえる。
ビザンティン様式っぽい正面構図も多く、全体的に厳かなのだが、きらびやかでもある。
私見ですが、蒔絵のような、厳格な漆黒の上に貼られた金箔に似たものを感じる。

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↑ドメニコ・ギルンダイオの【聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ぺテロ】
この3人の立像というスタイルは、この絵画から確立したそうです(確か)。
ヤコブスは黄金伝説という、聖人たちをまとめた著書で有名。
ぺテロのイコンなのですぐわかる。

パルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの【聖ヒエロニムス】
ヒエロニムスは画家たちの格好の題材で今回もたくさん登場。
彼の足元に置かれている赤い帽子は枢機卿を示す。
ヒエロニムスはシリアで隠遁し、エルサレムへ。
その後ローマの貴婦人の庇護の元、ベツヘレムで聖書をラテン語に翻訳し終えるが、それが20世紀までずっとスタンダードになっていたというのは驚き。

ベルジーノのヒエロニムスには、ちっさなおじさん・・・ならぬちっさなキリストが登場。
これ、ヤコポ・デル・セライオも同じような構図で描いている。

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↑ボッティチェリの通称「円形のトンド」

ボッティチェリの初期の作品【ロッジャの聖母】目元の陰影がきつすぎて、まだあの独特な柔らかで神秘的な表情はない。
【円形のトンド】のヨハネは美青年すぎるが、逆に 【聖母子と洗礼者ヨハネ】のヨハネは年少のキリストが頬を寄せすぎて、はっきりみえず、歪んでいるのが気になった。下から見上げたらちょうどよく見えるのだろうか。
後期作品になるにつれ、一目でボッティチェリとわかる憂いを帯びた表情になっていく。
 



そのほか、ざっと記憶に残ったものを列挙する。

ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・ラルチャーニの【運命の寓意】。
イルカの上に女神が乗っているが、イルカは復活のシンボルだそうです。
ギリシャ神話、エウロパを略奪するゼウスのような構図。

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↑ アンドレア・デルサルトの【ピエタのキリスト】は、死んでいるにも関わらず、左足が浮いていて今にも歩きだしそう。
ピエタなのに聖母もマグダラのマリアもおらず、 たとえばこれが「復活のキリスト」としても違和感を感じない。
それよりもその肉体から神気を感じないし、キリストというより一般人めいた雰囲気がある。なんとも面白い絵画だ。

ポントルモの【聖母子】は、マニエリスムと形容したいほど肢体が長い。新時代様式とわかりやすい作品なのかも。

【聖母子の洗礼者ヨハネ】もいつものやつですね。3作品の3連発、各者各様で面白い。
ヨハネが巻き毛でクピドのようだったり、目元の陰影がきつく漫画のようだったり…。

メディチ家が作製依頼した最初のタペストリー作品は「春」。複雑な織りだが色使いが華やかで軽い印象。

ヤコポ・デル・セライオの【モルデカイの勝利】
旧約聖書に登場するユダヤ人なのですね。
モルデカイの物語を読む限り、「絶対に他民族の国家に同和しない」選民主義が顕著にみられる。
ほとんどの画家が新訳約から題材をとるなか、旧約から題材を取り上げた意図は一体何だろうか。

ダンテはこのフィレンツェ出身でその影響はルネサンスに広く及ぶ。
誰のかは忘れたが、ダンテの詩が額に彫られている絵画があった。
「インフェルノ」ではジョルジオ・ヴァザーリの回廊が登場しますね。

ヴァザーリといえば「芸術家列伝」が有名すぎて、作品としては印象がなかったのでだが見れてよかった。
【無原罪の御宿りの寓意】は、アダムとイブから連なる系譜の人物たちが知恵の木を取り囲むように配置され、原罪のある身を嘆いている。
そのなかでマリアが昇天しているのだが、わかりずらい絵画にも関わらずめちゃくちゃ流行ったそう。
富裕層はこぞってベッドルームに飾ったとか。

その神々しさに洗脳されそうな聖書の世界が、ギュッと濃縮された展開会だった。


ダン・ブラウン【インフェルノ】とダンテ【神曲】 [■BOOK・COMIC]

★満足度40点

最近、フィレンツェづいている。
常々ダンテを読もうと思っていたところ、タイムリーに【インフェルノ】が登場。
さらに追いかけるように、上野でウフィツィ美術館展も見てきた。 

神曲 煉獄篇 (角川ソフィア文庫)

神曲 煉獄篇 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: ダンテ
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2013/11/22
  • メディア: 文庫

神曲 天国篇 (角川ソフィア文庫)

神曲 天国篇 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: ダンテ
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2013/11/22
  • メディア: 文庫

ダンテの【神曲】。
この、西洋美術史や絵画に何にでも登場する神曲とやらに凄く興味は持っていて、満を持して読み始めたが…。
うーん、結局、私の心には何も届かなかった。
キリスト教徒ではないのだから、当たり前と言えば当たり前だけれど、もう少し起伏のある物語性があって、神学を説きつつ普遍的な感動をもたらしくれる物だと思っていたが、全くの見当違い。

煉獄では、ダンテがローマの哲学者ウェルギリウスに導かれ、歴史上の著名人たちに出会い懺悔や讒言を聞き、その罪に応じた責め苦に苦しむ亡者たちの7つの坂を登るのだが、ただ会話と事実の羅列のみで、仰々しい形容詞ばかりが並ぶ。 (ちなみに図書館で借りれず、地獄編だけ未読)

天国編でもハッと思わせる叙述はなく、ひたすらベアトリーチェを讃えるさまは、なにやら盲目的を超えて滑稽にも思えた。 神よりも常にベアトリーチェを讃えてるのだから。

だけどまあ、魂が原罪の罪に染まるタイミングという解釈は、西洋人の物の考え方を知る一助にはなった。
洗礼を受けていないまま死ぬと、原罪から解放されない。だから、生まれてすぐに洗礼を行うんですね。
しかしそれだと、キリスト教に帰依するという意識がないのに、勝手にキリスト教信者になっちゃうっていうね…。

文中、ダンテ自身が持っていたであろう疑問を、天国で偉人に見透かされるという形で叙述しています。
「おまえはこう考えた。『ある人がインダス河畔で生まれたとする。その地にはキリストについて語る人も、読んで教える人も、書いて記す人もいない。
その人の考えること、なすことはすべて人間理性のおよぶかぎりでは優れている。
その生涯を通じ、言説にも言動にも罪を犯したことがない。
その人が洗礼を受けず、信仰もなくて死んだとする。
そのかれを、地獄に堕とすような正義はどこにあるのだ?
かれに信仰がないとしても、どこにその罪があるのだ?』」

しかしこれに対する答えも作者がダンテである以上、結局明快な返答はありません。
「そういった所行はきちんと神が見ている云々、オマエが考えることではない」といったような返答でした。
キリスト教って、いっつもこれ・・・。

自分の無学故もあり、神学の研究者や、当時のキリスト教徒にとっては画期的な著書なのだろうが、この面白さをついぞ感じることはなかった。別の解説書でも読んで、新たな発見があればいいと思う。


★満足度65点

インフェルノ (上)  (海外文学)

インフェルノ (上) (海外文学)

  • 作者: ダン・ブラウン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/11/28
  • メディア: ハードカバー

インフェルノ (下) (海外文学)

インフェルノ (下) (海外文学)

  • 作者: ダン・ブラウン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/11/28
  • メディア: ハードカバー

さて、ダン・ブラウンの「インフェルノ」。
「ダ・ヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」に見られるような芸術品に秘められた謎解きではなく、自分の計画を成就させたい科学者が単にダンテの詩を借りただけだった。
時間稼ぎともいえる暗号ゲームに付き合わせるための借り物といえようか。

人間の業を重ね合わせるのに、ダンテの地獄のイメージは使いやすかったとは思うが、あまりにこじつけといえばこじつけ。
少し芝居がかかった科学者の独白も鼻白む。
「ダ・ヴィンチ・コードがあんなに面白かったのは、やはり「最後の晩餐」そのものに謎かあり、歴史の深淵を覗きこむような一種の恐怖も感じたからだろうと思う。
ロスト・シンボル (上) (角川文庫)】あたりから、ロバート・ラングドンが振り回されるだけの展開が強くなってきた。

だが、今回の犯人がもたらした「テロ」の正体が、人間を病気にさせるような疫病ではなく、「人類の三分の一の確率で妊娠できない」ようDNAを書き換えるウイルスだった、というのには今までありそうで無かった大胆さ。

人口問題は私も心配。
このウイルス、特に大きな混乱ももたらさず、抜本的な解決になるかもしれない、などと妙に納得してしまった。
人間は目に見える危機がなければ、騒ぎはしないから。
インフェルノの後日談で、このウイルスが撒き散らされたと露見した展開になっても、一般人のなかには信じない人も多いと思う。
第三国ではそもそも状況を理解できる民度があるとは思えないし、もっと差し迫った問題が横たわっている。
先進国では「嘘でしょ?」「そうだとしても死なないんでしょ?」「誰が不妊になるかわからないし」なんて言葉か飛び交い、そのうち忘れらてしまいそうだ。対岸の火事のように。
この設定は次回作に引き継がれるのか否か。
きっとこの問題はこれで終わりなのだろうけど。

バウドリーノ [■BOOK・COMIC]

★満足度70点

バウドリーノ(上)

バウドリーノ(上)

  • 作者: ウンベルト・エーコ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/11/11
  • メディア: ハードカバー

バウドリーノ(下)

バウドリーノ(下)

  • 作者: ウンベルト・エーコ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/11/11
  • メディア: ハードカバー

読破したときは、「評価に困る作品だなぁ…
どうとらえていいものやら」…と、戸惑いました。

西洋社会にはびこった伝説は、概ね人為的なものであると皮肉った作品と受け取れたけど…もしくは純粋にピカレスクロマンとして、楽しんで執筆しただけかも。

前半はバウドリーノがフリードリヒに拾われ、その才覚で信頼を得て、フリードリヒや自分の師匠のためにの司祭ヨハネの王国を探しにいくこと誓うまでを描くが、それが長い長い。

フリードリヒの正妻に叶わぬ恋をし、パリに留学し五人の仲間と出逢い、司祭ヨハネからの手紙を政治利用するために捏造するまで終わってしまう(笑)
こちらはいつになったら旅立つのかと始終やきもき。

しかし仲間とのかけあいや、司祭ヨハネの伝説を肉付けしていくうちに話が大きくなっていき、ついには自分たちで造り出す物語と情景にうっとりする様は滑稽でもあり、読んでいるこちらも楽しくもある。
そうこうしているうちにヨハネの贋作は盗まれ、フリードリヒも謎の死を遂げてしまう。

下巻ではやっとこさ旅立つが、私は伝説に含まれている描写があまりに荒唐無稽なので、バウドリーノの虚言落ちかとヒヤヒヤしたよ!なんたってロード・オブ・ザ・リング並みの化物がわんさか登場するんだから。

しかし司祭ヨハネの直前まで迫っておきながら、結局果たせず、家族も持てなかったバウドリーノに愛着を感じることは確かで、最後見果てぬ夢のために旅立つところでは、なんとも言えない切なさが込み上げてきた。
結局、バウドリーノと五人の仲間の人生ってなんだったんだろう…、って。

バウドリーノとヒュパテイアの子供は生きているのか、バウドリーノは会えるのか…

しかしこの作品の趣旨は感傷的にさせることではなくって、なお現在伝わる聖遺物、特に聖杯などが善意の嘘によって現実化していく過程を楽しむものなんだろう。

また、実在の人物で謎の死を遂げたフリードリヒを密室殺人に仕立てあげ、最後の最後に真実が露見するくだり、フリードリヒが攻めて命名した町が生まれる過程もフィクションを織り混ぜて面白い。

聖杯を宝石がゴテゴテに飾り付けた金の杯ではなく、バウドリーノの父親が長年使っていた、ワインの染みたただの木の器にしたほうが「説得力があるではないか」にはニヤリとさせられました。

人間の創造力と想像力をシニカルな視点で描きつつ、果たしてそれを書いている自分も後世の大捏造者とするのも、やるよねぇ!
世界は同心円状に広がるメタフィクションかなのかも!?


私を離さないで [ヒューマンドラマ]

★満足度90点

わたしを離さないで [Blu-ray]

わたしを離さないで [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • メディア: Blu-ray


原作を一年前に読んで…すぐに映画を観たら涙腺が崩壊するんじゃないかと思って、録画したまま寝かせておきました。

再びカズオ・イシグロの世界に入り込んで…空気感が立ち上ってくるような気がしました。
原作の行間が見事に表現されています。

原作のレビューはこちらでも書いたので、内容の多くには言及しません。
陳腐な言葉でレビューを書いて本作の魅力を損なわせてしまうのが恐いくらい、繊細で美しくて切ない作品です。

本当に映像が美しく、どこを切り取っても寂寥とした物悲しさが漂ってきます。
古い修道院のようなヘールシャム、桟橋のある海岸、打ち上げられた廃船。胸を締め付けます。

映像化された作品をみても、この作品の「未来を描いたSF」とならないように配慮された時代設定が秀逸だと思う。
自分のクローンを育てて臓器移植することが、当たり前すぎて誰もおかしいと思わない社会。
クローンたちは子供のうちから臓器提供のための存在だと知らされ、「(臓器)提供」「終了(死)」という言葉が日常的に使われる。 生きるスキルも教えられず、戸籍ももたず。
匿ってくれる頼れる存在もいない。

クローンだからといって、機械で管理されているようなシステマティックな描写は一切なく、辛うじてあるのは腕につけたIDのようなものだけ。それも特に説明はありません。
描かれるのは、短い人生でも普通に恋をし、叶わないと知りつつ将来を夢想する、通常の人間となんらかわらない人間模様。
一般的なSF的要素はひそみ、人物描写に焦点をあてているので、ジャンルはヒューマンドラマにしました。

しかし彼らを取り巻く社会のヒントは非常に上手く散らされてあり、最期まで謎の存在「マダム」がキーポイントになっていました。
トミーとキャシーがマダムに会いに行くシーンでは、「猶予」がないことや、マダムと校長の関係が明かされ、それにより冒頭の校長の演説で、ヘールシャムが糾弾されていたのは、クローン推進派からだったことがわかる(はっきりとは言っていないが)。
そしてそのことがヘールシャムが「特別」だと噂される根拠になったのだ。
そしていまやそのヘールシャムはなくなり、代わりにできた施設では「まるでブロイラーのように」扱われている、というトミーの仕入れた情報から、結局クローンを取り巻く世の中はもっと悪くなったことが裏付けられる。

他のレビューで、クローンが従順な事に「荒唐無稽」と評している方もいましたが、【アイランド】のように壮大な逃亡劇やレジスタンス運動に身を投じて、主人公が晴れてハッピーエンドとなる展開の方が荒唐無稽ではないでしょうか。
大衆の総意というものが、善悪の判断を鈍らせ疑問を抱かせない社会になっていく方が、非常にありそうで怖い。

特にクローンがつける職が同じクローンの「介護」職だけというのが残酷きわまりない。
直視したくない問題は、彼らにやらせておけという、卑怯。

終始達観した表情を湛えていたキャシーの最後の独白と涙に込められた思い。
怒り、絶望、達観、郷愁、愛情、色々な思いがない交ぜになった、非常に深く苦しい場面でした。

臓器のために自分を複製するというのは、他人の死を待って臓器を望むよりも、抵抗は少ないのかもしれない。
元は自分なのだから、分裂した細胞程度にしか思ってないのではないか。
今は万能細胞により部品ごとの複製が可能な未来が期待されるが、一歩間違えれば同じ未来が待っていたかもしれない。
人の残酷な面と、短い人生を正直に生きる純粋な面と、極端を同時に描ききった傑作だと思う。


悪童日記 [戦争ドラマ・戦争アクション]

★満足度85点

●HP…http://akudou-movie.com/


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■ラストの衝撃に備えよ

あらゆるシーンに衝撃をうけた。
戦争というものは、子どもが子供であることから乖離させてしまい、心を家族から分離させてしまうものなのだろうか。
あんなに慕っていた父母を、他人を見るような目で。

父母にとっては確かに「魔女」に魔法でもかけられたかのように、我が子が他人のように思えただろう。
戦争の捕虜から解き放たれて我が子に会えたその瞬間、一般の人が想像するような温かい抱擁というものが、双子にはなかった。

双子の預け先の、祖母による冷たい仕打ち。
残酷な虐待はなかったが、双子らは自ら様々な試練を課し、苦痛に耐えることで強くなろうとする。
その魂を削るような行為で、せっかく純粋だった心を、自ら穢していく様子が胸に痛い。

彼らの「正義」の定義は、シンプルで残酷だ。
盗みを働いたら女性であろうと容赦なく殴るし、優しくしてくれたユダヤ人を密告した女性にはひどい制裁を加える。

しかし、疎開中にそういった様々な人から学び取った善悪の指標は、そういった状況になる前に去ってしまった父母には適用されなくてもいいはずなのに、あの冷徹さは謎だ。
疎開前は愛情たっぷりで中睦まじかった子供が、両親に対する無邪気な愛情を全く失ってしまった様子が、頭に疑問を、胸にしこりを残した。

父母と再会する間の時期が過酷すぎたということだろうか(おそらく1年ほどしか経っていない気がするが)。
戦時中そばにいなかったこと、それが罪とは言えるかもしれないが・・・。

更に加えれば、母親は結果的に、祖母のいう通り「牝豚」と呼ばれる行為をしていたわけだ。
祖母の家は自立して勝ち取った双子の砦であり、そこに見ず知らずの男性とその果実をもって現れた母親は、彼らにとって異物でしかなかったのかもしれない。

地雷原に追いやった父親の背中を踏みつける息子。
フィクションだから、というだけではやりきれない展開。
双子の世界には「何も期待するな」という標榜が掲げられ、二人で勝ち取ってきた世界しか価値あるものはない。
だからこそ、最後の別離にひどく衝撃をうけた。

「最後の訓練」。
冒頭で母親が話していた「双子は目立つ」という台詞が、彼らの頭によぎったのか。
それとも彼らにとって戦争はまだ終わらないものなか。
二人はどこへ行き着くのだろう…。
不穏な胸騒ぎだけを残して、映画は終わる。

この映画、最初は敵対していた祖母とまるで戦友のような情愛を交わしていたのが救いだった。

双子は素人だが、二人の出自の貧しさが造り出す剣呑とした雰囲気が、演技力の拙さを補ってあまりまると思う。
何か起こる度に不穏な響きを醸し出す銅鑼の音のような演出もよかった。